コンシャスライフ研究所の井上阿佐子です。
昨日のブログで「幸福の王子」のことを書いているとき、別のことを思い出しました。
確か、27~28歳の頃だったと思うのですが、映画「塩狩峠」を見ました。
北海道の塩狩峠に差し掛かった列車の最後尾の連結器が外れてしまい、客車が坂をバックして暴走しかけたのを、主人公(たまたま乗り合わせた鉄道職員)が身を挺して食い止め、殉職したというお話です。
映画の前半で主人公はクリスチャンとして、いかに正しく清らかに生きるかを考えていたような気がします(私の記憶ですが・・・)。
この映画を見たのは知り合いの紹介で行った「人生を学ぶところ」ででした。
実は、ある新興宗教(合同結婚式で有名なところ)だったのですが、初めはわかりませんでした(意図的に言わないんですよね)。
担当の女性がいて、いろいろとお話したり、ビデオを見たりします。
そこで彼女に勧められて見た映画です。
見終わってから、彼女が「どうでした?感動したでしょう?」と言うので、まったく共感できなかった私は、答えに困った記憶があります。
これも自己犠牲ですが、乗客を救ったという意味では「幸福の王子」とは少し違います。
ただ、私が見ていて思ったのは、主人公がひとりで何とかしようとした点です。
映画の印象では、パニックになるのを恐れて乗客には事故のことを伝えなかったように思うのです。
乗客には大きな荷物を背負った人もいました。
自分の身体を線路に投げ出さなくても、まずはそれらの荷物を使うこともできたんじゃないか?
結局、主人公は人と協力したり、人を信頼することができなかったんじゃないか?
そんな風に感じました。
それでも、その後2日間のセミナーに参加して、もう少しで入会するところだったんですよね~(笑)。
そのセミナーでは理論的な説明と感情を揺さぶるワークをします。
そういう体験が初めてだったので、「ここに真理がある!」と思い込んでしまったんですね。
ここで学べば素晴らしい人生が得られる気分になっています。
最終的には、ある人にその話をして目を覚まさせてもらい、断ることができました。
断った時、担当の女性から強く引き止められました。
「あなたのために言っているのよ。
知った上で拒絶すると、神を裏切ることになって地獄に落ちるから!」
なんて、言われました。
地獄に落ちるかどうかは死んでみないとわからないけど、入会しなかったからと言って不幸になったということはまったくありませんでした。
実は、宗教化したスピリチュアルな世界では、よくあることです。
自分たちだけが正しくて、そこから離れると次のステージへあがれないとか、不幸になるとか(笑)
このときの経験があったので、そういう”おどし”には怯えなくなりました。
逆に、底の浅さを感じてしまいます。
「塩狩峠」の主人公は日々の生活の中で、己の清らかさが損なわれることに怯えていたように記憶しています。
「汚れてしまうと地獄へ落ちる。死んで天国に召されるにはどうすれば」と考えていたのであれば、それこそが殉教だったのではないでしょうか。
※実在の人物がどういう考えだったのかはまったくわかりません。あくまでも映画を見て私が感じたことです。
いずれにしろ、どんなに相手のためと言っても、その相手が悲しむような自己犠牲には意味がないと思います。
そして、それを美化することも。
「幸福の王子」つながりで感じたことでした。
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[…] おとといのブログ『「幸福の王子」から「塩狩峠」へ』で、ある新興宗教にはまりそうになったことを書きました。 […]