コンシャスライフ研究所の井上阿佐子です。
昨日、一昨日のブログで、自己犠牲を美化するのはやめた方が良いと書きました。
でも、実は私達はある種の自己犠牲の上に生きてるのだと思います。
それは、誰もが経験していること。
親(または育ててくれた人)の想いです。
あまりに当たり前すぎて、親自身が自己犠牲と思っていないところがすごいですね。
でも、時間も、エネルギーも、お金も、それに本当にやりたいことがあったとしても、それを後回しにして、育ててくれたはずです。
もちろん、それ以上の喜びがあるのだと思いますが。。。
しかも、子どもはいつかその親を否定することで自立します。
私は昔、母のことを「教養がない」と思って貶めていました。
トイレのカレンダーに書くスケジュールの漢字が間違っていたり、洋服の「タンクトップ」を「タンプトップ」と覚えてしまい、何度違うと言っても「タンプトップ」と言い続けたり。
そういう姿を恥ずかしいと思っていました。
母は戦時中に小学生で、教科書も満足にない時代でした。
兄弟が多かったので学歴は中学卒です。
でも、卒業後、紳士服の仕立ての仕事につき、服飾に関する知識と経験はプロです。
時間があるときは、型紙からおこして私の服を縫ってくれたこともあります。
それに料理の腕もプロ並みでした。
食料品店を営む父のところに嫁いでからは、調理師免許を取るために仕事をしながら勉強したりする努力家でした。
母が刺し身を切ると筋が口に残らないように捌くので、遠くからわざわざ買いに来るお客さんもいました。
※母は料理上手ですが、私はそうではありません!そんなもんですよね(笑)
頼み事をされれば、それを解決するだけの智慧と人脈を持ち、誰からも頼りにされていました。
祖父母につかえ、在宅介護もし、親戚づきあいをし、私には真似のできないことをすべてやりきってきた人です。
そんな母を、字が間違っているだの、教養がないだのと心の中で否定していたのですから、恥ずかしくなります。
でも、そんな時期を越えて大人になるのだと思います。
当時は、自分が勝てそうなところだけに注目して、責めていたのだとよくわかります。
本当の親の素晴らしさを認めてしまうと、自分のあまりの小ささに押しつぶされてしまうと思っていたのでしょうね。
そんなことも(無意識にかもしれませんが)、親は黙って見守ってくれていたのでしょう。
私達は、過去の記憶を選んでいます。
相手を否定したいときは、そうなるような記憶しか思い浮かびません。
でも、私達が大人になっているということは、必ず育ててくれた人がいます。
誰もが、生まれて数ヶ月は2~3時間おきにミルクをもらっていたはずです。
夜泣きをすれば、いつも抱っこしてあやしてもらったはずです。
病気になれば、つきっきりで看病してくれて、
動き出せば変なものを食べないかと目を配ってくれた人がいたはずです。
離乳食が始まれば、それから10数年にわたって毎日3度(おやつも入れればそれ以上)の食事を作る。。。
そして、働いてお金を稼ぐ。
やってはいけないことをすれば、怒る。
親は皆、それをやっているかと思うとクラクラします。
親は子どもを育てるために、必ず何かを犠牲にしています(犠牲とは思っていないかもしれませんが)。
もし、大人になっても親を否定したいと思うのであれば、それは親の問題ではなく、自分自身の心に手放したくないものがあるのだと気づいてください。
そこが変われば、自分自身の人生も変わります(私も体験者なので)。
本気で変わりたいなら、カウンセリングも受け付けますよ(^^)。
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