コンシャスライフ研究所の井上阿佐子です。
名古屋から東京へ引っ越すとき、猫達を車に乗せて私が運転して運びました。
(夫はペーパードライバーです。)
獣医さんへ行く以外に、マンションから出たことのない3匹は最初キャリーバッグの中で鳴き続けましたが、あきらめたようです。
かわるがわる車内に出すと、不思議そうに流れる景色を見ていました。
東名高速を降りて、借りたアパートに向かいますが、慣れない東京の道路に四苦八苦。
名古屋なら、右折したければ右車線にいれば問題ないのですが、東京は立体交差するので、右折も左車線にいなければならなかったりします。
曲がりたいのに曲がれず、Uターンもできない。。。
引っ越しのときではないですが、自動車学校で練習したクランクが本当に街にあり、ハマってしまって大変な目にあったこともありました。
さて、猫達とアパートに入ったのですが、初日は知らない家に来た不安からか鳴き叫びます。
とくに気が強いくせに小心者なピンク(黒猫)は、抱いてあやしつづけなければ悲鳴のような大声で鳴きます。
そのため、初日はほとんど眠ることができず困りましたが、さすがに朝になって、皆、落ち着いてくれました。
一番長生きした「ミミ」は19歳になる数日前に亡くなりました。
その前に「モモ」と「ピンク」を乳腺腫瘍で亡くしていました。
2匹とも、ちょうど私が家にいるときに逝きました。
高齢で手術は負担になるということで、覚悟はしていましたが、腕の中で生気が消えていくのを感じるのは、悲しいですね。
最後に残った「ミミ」だけが、高尾の家に引っ越すことができました。
引っ越してから「ミミ」が、すごく落ち着いてのびのびしているのを感じましたね。
気の強い「モモ」や「ピンク」のストレスから、解放されたのかもしれません。
私の膝(太もも?)も専有できますしね(笑)
「ミミ」は老衰で亡くなりました。
数日前から、人の来ない暗がりにじっとするようになり、食事や水をとらないので、獣医さんに連れて行くと脱水症状でした。
治療の後、「入院させますか?」と尋ねられましたが、もう回復しそうにないことはわかっていたので、自宅で見送りたいと連れ帰ったのです。
ちょうど、どうしても出勤しなければならない仕事がなかったので、会社にお願いして休みをもらいました。
「モモ」や「ピンク」のときの経験から、今日・明日だろうと思っていたのです。
そこで、居間でずっと「ミミ」と一緒にいました。
「ミミ」はほとんど動かず、ときおりフラフラと歩いてトイレに行ったりします(あまり出ませんが)。
そしてまた、ソファのところに戻ってきますが、自力でソファに上がることができず、抱き上げて寝かせます。
一晩、徹夜でそばにいました。
朝になって、夫が心配そうに出勤するのを見送った後、そのままソファで見守りつづけました。
夜、夫が帰ってきて「どう?」
私は「うん、まだ生きてる。でも、今夜くらいかな」
翌朝、「まだ生きてる。。。」
生きていてくれるのはありがたいのですが、起き続けているのも辛い。。。
夫が「ベッドで眠ったら?」と言ってくれるのですが、その間に「ミミ」が逝ってしまったら、と思うと居間を離れることができません。
そうやって、また1日が過ぎました。
たしか、病院に行ったのが水曜日で、それからずっとソファで付き添っていて、金曜日の夜になりました。
実は、土日には私が講師をつとめる講座があるため、どうしても出勤しなければなりませんでした。
「今夜中に逝かなかったら、置いて出勤するしかない」と覚悟しました。
講座の直前とはわかっていても、やはり居間を離れることはできませんでした。
夫もその夜は一緒に居間にいてくれると言うので、私はソファに横になり、胸の上に「ミミちゃん」を乗せて眠ることにしました。
何かあったらすぐ目が醒めるように。
そして、土曜日の早朝、「ミミちゃん」を送ることができました。
ただ、その時、悲しいとは思うのですが、ホッとした安心感の方が強かったように思います。
時折、ペットロスと言って、ペットが亡くなって落ち込む方の話を聞きますが、私には無縁だと思っていました。
「モモ」や「ピンク」との別れでもあまり感じなかったからです。
でも、「ミミ」が逝って数日後に、家の2階から階段を降りてきた瞬間、1階に「動くものが何もない!」と感じて愕然としました。
それまで19年近く、我が家には必ず動くもの(猫達)がいたからです。
無意識にその姿を追っていたのに、今は何も動かない。
その喪失感にひどく驚いたことを覚えています。
当たり前にあることで感じられないもの。
失って初めてわかる大切なものの存在。
言葉ではよく言われますが、そのときとても強く実感しました。
その後、猫は飼っていません。
飼いたくないのではなく、飼う時期ではないのだろう、と思っています。
「ミミ」が逝った頃、私は仕事に熱中していました。
猫がいることは確かに大きな癒やしですが、無意識では、もっと前進することにエネルギーを使いたいと思っていたのではないかと思います。
猫達との別れは、私のひとつの期間(時代とも言える)が終わった表れだと思うのです。
失うことは辛いことですが、失ったからこそ手に入るものもあるのだと感じます。
だからこそ、今を生きたいと思っています。
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