にゃんこ達との別れ

コンシャスライフ研究所の井上阿佐子です。

エスカロニア:6月28日の誕生花

エスカロニア:6月28日の誕生花

名古屋から東京へ引っ越すとき、猫達を車に乗せて私が運転して運びました。

(夫はペーパードライバーです。)

獣医さんへ行く以外に、マンションから出たことのない3匹は最初キャリーバッグの中で鳴き続けましたが、あきらめたようです。

かわるがわる車内に出すと、不思議そうに流れる景色を見ていました。

 

東名高速を降りて、借りたアパートに向かいますが、慣れない東京の道路に四苦八苦。

名古屋なら、右折したければ右車線にいれば問題ないのですが、東京は立体交差するので、右折も左車線にいなければならなかったりします。

曲がりたいのに曲がれず、Uターンもできない。。。

引っ越しのときではないですが、自動車学校で練習したクランクが本当に街にあり、ハマってしまって大変な目にあったこともありました。

 

さて、猫達とアパートに入ったのですが、初日は知らない家に来た不安からか鳴き叫びます。

とくに気が強いくせに小心者なピンク(黒猫)は、抱いてあやしつづけなければ悲鳴のような大声で鳴きます。

そのため、初日はほとんど眠ることができず困りましたが、さすがに朝になって、皆、落ち着いてくれました。

 

一番長生きした「ミミ」は19歳になる数日前に亡くなりました。

その前に「モモ」と「ピンク」を乳腺腫瘍で亡くしていました。

2匹とも、ちょうど私が家にいるときに逝きました。

高齢で手術は負担になるということで、覚悟はしていましたが、腕の中で生気が消えていくのを感じるのは、悲しいですね。

最後に残った「ミミ」だけが、高尾の家に引っ越すことができました。

引っ越してから「ミミ」が、すごく落ち着いてのびのびしているのを感じましたね。

気の強い「モモ」や「ピンク」のストレスから、解放されたのかもしれません。

私の膝(太もも?)も専有できますしね(笑)

 

「ミミ」は老衰で亡くなりました。

数日前から、人の来ない暗がりにじっとするようになり、食事や水をとらないので、獣医さんに連れて行くと脱水症状でした。

治療の後、「入院させますか?」と尋ねられましたが、もう回復しそうにないことはわかっていたので、自宅で見送りたいと連れ帰ったのです。

ちょうど、どうしても出勤しなければならない仕事がなかったので、会社にお願いして休みをもらいました。

「モモ」や「ピンク」のときの経験から、今日・明日だろうと思っていたのです。

そこで、居間でずっと「ミミ」と一緒にいました。

 

「ミミ」はほとんど動かず、ときおりフラフラと歩いてトイレに行ったりします(あまり出ませんが)。

そしてまた、ソファのところに戻ってきますが、自力でソファに上がることができず、抱き上げて寝かせます。

一晩、徹夜でそばにいました。

朝になって、夫が心配そうに出勤するのを見送った後、そのままソファで見守りつづけました。

夜、夫が帰ってきて「どう?」

私は「うん、まだ生きてる。でも、今夜くらいかな」

翌朝、「まだ生きてる。。。」

生きていてくれるのはありがたいのですが、起き続けているのも辛い。。。

夫が「ベッドで眠ったら?」と言ってくれるのですが、その間に「ミミ」が逝ってしまったら、と思うと居間を離れることができません。

そうやって、また1日が過ぎました。

 

たしか、病院に行ったのが水曜日で、それからずっとソファで付き添っていて、金曜日の夜になりました。

実は、土日には私が講師をつとめる講座があるため、どうしても出勤しなければなりませんでした。

「今夜中に逝かなかったら、置いて出勤するしかない」と覚悟しました。

講座の直前とはわかっていても、やはり居間を離れることはできませんでした。

夫もその夜は一緒に居間にいてくれると言うので、私はソファに横になり、胸の上に「ミミちゃん」を乗せて眠ることにしました。

何かあったらすぐ目が醒めるように。

そして、土曜日の早朝、「ミミちゃん」を送ることができました。

ただ、その時、悲しいとは思うのですが、ホッとした安心感の方が強かったように思います。

 

時折、ペットロスと言って、ペットが亡くなって落ち込む方の話を聞きますが、私には無縁だと思っていました。

「モモ」や「ピンク」との別れでもあまり感じなかったからです。

でも、「ミミ」が逝って数日後に、家の2階から階段を降りてきた瞬間、1階に「動くものが何もない!」と感じて愕然としました。

それまで19年近く、我が家には必ず動くもの(猫達)がいたからです。

 

無意識にその姿を追っていたのに、今は何も動かない。

その喪失感にひどく驚いたことを覚えています。

当たり前にあることで感じられないもの。

失って初めてわかる大切なものの存在。

言葉ではよく言われますが、そのときとても強く実感しました。

 

その後、猫は飼っていません。

飼いたくないのではなく、飼う時期ではないのだろう、と思っています。

「ミミ」が逝った頃、私は仕事に熱中していました。

猫がいることは確かに大きな癒やしですが、無意識では、もっと前進することにエネルギーを使いたいと思っていたのではないかと思います。

猫達との別れは、私のひとつの期間(時代とも言える)が終わった表れだと思うのです。

失うことは辛いことですが、失ったからこそ手に入るものもあるのだと感じます。

だからこそ、今を生きたいと思っています。

 

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