コンシャスライフ研究所の井上阿佐子です。
最近、夫が購入して我が家に届いた本のタイトルを紹介します。
「看取り先生の遺言」
「死とどう向きあうか」
「死にカタログ」
「大往生」
「どう生き どう死ぬか」
「生命の自然法 命」
「ユーモアは老いと死の妙薬」
「一流の死に方」
他多数。
ここ1ヶ月くらいの間に集まってきました。
タイトルを見ただけでわかりますよね。
彼は今、「子孫へのラブレター運動」を展開しています。
そのため死との向き合い方や終活(人生の終わりのための活動)に関する本を取り寄せて読んでいるようです。
「子孫へのラブレター」は、
明日、目が覚めなかったら…自分は子孫に何を伝えたいか。
伝えたいことをビデオで撮影して残すというものです。
「遺言講演会」との違いは、まったくプライベートであるということ。
子どもや孫に対して、または、自分が未来を託したいと思う人をイメージして
その人に対して語ります(未公開を前提とする)。
メッセージではなく、ラブレターであることに意味がある(そうです)。
私は10月21日の遺言講演会を前にして、これまでの人生を振り返っています。
その中で自分が”死”に対してどう向き合っていたかという、ある記憶があります。
名古屋から東京に来て、仕事をしたいと思った会社に
「なぜ、この会社に就職したいのか?」をテーマにした小論文を出すように言われました。
バリバリのキャリアウーマンで年収1000万円を稼ぎながら、未来に希望がもてずに職を辞して、東京へきた37歳の頃でした。
その小論文の書き出しは「私は死ぬことが怖くない」でした(^^;)>
痛みや苦しみは嫌でしたが、死ぬことそのものに恐怖がない。
それは、生きていることの意味が見いだせないからでした。
生きていても死んでも、たいして違いがない。
惰性のように生きる毎日なら、別に今死んだとしても怖くも悲しくもないように感じていたからです。
もちろん小論文には、「今は『◯◯するまで死にたくない!』と思えるような未来のビジョンを見出したいから御社での仕事を希望する」というようなことを書いたと思います。
(そこも、ちょっと変わった会社だったので。)
もし、当時「遺言講演会」や「子孫へのラブレター」をやることになったら、
「何も話すことない」と言って拒絶したでしょう。
今は。。。「死にそうにないなぁ~」って感じです(^^;)>
それは、あるときこう思ったからです。
生きるということを探求してきて、今、それを人に伝えたいと思っている。
たくさんの経験と学びをしてきたのに、伝えないで死んだら意味がない。
だったら、世界は私の死を望まないだろう。
ちょっと傲慢に感じるかもしれませんが、なぜかそう思ってしまったんです!
それでも人が不死でないことには意味があると思います。
”死”というひとつの区切りを想定することで、
最高の満足(ハッピーエンド)を得る自分にまっすぐ向かって行くこと。
そのための手法が「遺言講演会」や「子孫へのラブレター」です。
だから、我が家にこの手の本が山積みになるのも、
私自身が「最高の満足(ハッピーエンド)に向かって行きたい」という思考の結果かもしれないですね。
夫の井上祐宏は10月25日(土)に開催される【2014志ビジネス・プレゼンテーション大会】に「子孫へのラブレター」をテーマにしたプレゼンを行います。
詳細はこちら⇒http://kokucheese.com/event/index/199456/
私はその数日前10月21日(火)に「遺言講演会」を行います。
詳細はこちら⇒http://kokucheese.com/event/index/223088/
夫は以前「遺言講演会」を2度行っていますので、夫婦で遺言講演会をするのは世界初とか。
ヘンな夫婦ですね(笑)
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