コンシャスライフ研究所の井上阿佐子です。
1月に放映された『京都人の密(ひそ)かな愉(たの)しみ』という番組を見ました。
名古屋に住んでいた頃、ちょっと旅行というと京都が多かったように思います。
母が好きでしたし、見どころもたくさんあって楽しいですしね。
ただ、私はあくまでも観光客で、
番組では京都に住む人から見た京都を描いていて面白かったです。
特に「京のぶぶ漬け」の話。
京都では、訪問先でぶぶ漬け(お茶漬けのことらしい)を食べていきなさい、とすすめられたら真に受けてはダメで、その真意は「そろそろお帰りください」という意味だと言うのです。
もし食べてしまうと「図々しいお人やな」と言われるとか。
私も子どもの頃、そんな話を聞いたことがあります。
そこから、京都人は「いけず」とか「うらおもてがある」とか思われたりするそうですが、実際にはほとんどないようです。
どうして、そんな話が生まれて広まったのかも、語られていました。
京都の町家は狭く、自宅が仕事場だったりもして、ゆっくり話し込むのは相手に迷惑との気遣いがあったようです。
用があっても玄関先で立ち話する程度で、座り込んではいけないと、子どもの頃から教えられるそうです。
そういう文化の地域に、それを知らない人が長居をしたことから生まれたエピソードではないか、とのこと。
それを面白おかしく、大げさに語られたのが「京のぶぶ漬け」らしいのです。
同じ番組で、茶道のシーンもありました。
私も若い頃、茶道を習っていましたが、そこではたくさんの暗黙の了解があります。
例えば、お茶会に招かれたときも、最初、亭主(招いた人)は出迎えをしません。
玄関に打ち水があれば勝手に待合まで入ります。
そこでしばらく待つと亭主は木戸のところまで来て、お互いに無言で礼をします。
亭主側も客側も、どのタイミングで何をするかを知っているからこそ、流れるような茶会の時間を過ごすことができます。
茶懐石の最後に客が全員でお箸をカタンと落とす音を聞いて、亭主がふすまを開けて部屋に入ってくるとか、勧めても飲まないとわかっているのに隣の人にお茶を勧めるとか。
そこにいる全員が約束事を知っているので、言葉を使う必要がありません。
余計な言葉なしに、すべてが絶妙のタイミングで動いていくのは、なかなかの快感です(緊張感もありますが)。
「京のぶぶ漬け」も暗黙の了解を知っているか、知らないか、という話ですよね。
これが日本の文化なのかなぁ、と思いました。
「察する」とか「気遣う」「型(パターン)がある」という文化です。
それには、暗黙の了解や決まり事、パターン認識が必要になってきます。
子どもの頃からそれらを叩きこまれて育った人と、
そうでない人(ぶぶ漬けを食べちゃうような人)が
一緒に暮らそうとしたら結構たいへんですよね。
でも、文化が交わるところから新しいものが生まれるのかもしれません。
お互いを知ろうとする、理解しようとするところから、いろいろなことが始まるんですね。
コンシャスライフという生き方を知って人生の迷いを解きほぐし、最高の満足を得たい方はこちらをクリック




コメントを残す