コンシャスライフ研究所の井上阿佐子です。
昨日のブログ『虐待まがいの指導って、あり?』に松本佳子さんから、こんなコメントをいただきました。
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うちの発達障害の長男も、小1の担任に殴られました。
その当時、もちろん大っ嫌いだった先生でした。
でも今、先生のおかげでここまで来れたと言っています^_^
暴力だけを取り上げ、暴力を振るう側だけをダメだというけれど、ダメかどうかはその行動の根っこにある想いを見ずには語れないことですね。
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「行動の根っこにある想い」
本当に大切なことだけど、自分の感情が邪魔をして受け止められないことってよくあります。
佳子さんのお子さんが、まだ中2(思春期ですよね~)なのに「先生のおかげでここまで来れた」と言えることが、すごいと思いました。
私も子どもの頃、父に殴られた記憶があります。
「殴られた」と書きましたが、実際には平手のビンタが正確でした。。。まだ、少し恨みが残ってるかな?(^^;)>
居間でテレビを見ていた私のところに父がやってきて、何かを言ったんですね。
(何を言ったのかは、まったく記憶がありません。)
私はテレビを見たまま、「ふぅ~ん(「はい」のつもり)」と答えました。
父は、その態度が許せなかったらしく、大声で怒鳴ったので(何と言ったかも記憶がない)、驚いて振り返ったところを張り倒されました。
2mくらいは飛んだんじゃないかな。
私はあまりに驚いて何も出来ないまま、もう一発叩かれたので、うずくまって泣きながら謝るしかありませんでした。
そんな嵐の去った後、私が思ったのは「お父さんは虫の居所が悪かったに違いない」ということでした。
反省なんてこれっぽっちもしなかったんですね。
でも、その後は、父を恐れて従順な自分を演じていたと思います。
そして、心のなかでは、叩いて従わせる父を軽蔑していました。
子どもの自分には、父の「行動の根っこにある想い」に気づけなかったからです。
父は中学生の頃、仲間を引き連れて近隣の中学へ殴りこみにいったという武勇伝がある人です(^^)>
中学卒業後、青果店を営んでいた実家を継いで、毎日、問屋へリヤカーを引いて(時代を感じますね~)仕入れに行き、それを販売する仕事をしていました。
問屋では、周りはすべて年長者です。
思い通りにならないことも、辛いこともたくさんあったと思います。
それを乗り越えて、祖父から店主を引き継ぎ、私と弟を育ててくれていました。
恐らく、私が父に不遜な態度をとったのも、その日が最初ではなかったでしょう。
行動を起こすまでに、何度も言葉や態度で私に示していたはずです。
それでも私が変わらなかった。
だから、堪忍袋の緒が切れた、と。
確かに、虫の居所が悪かったのかもしれませんし、
父が意識して「私の将来を考えて叩いた」と言うつもりはありません。
でも、「そのままの私ではいけない!」という強い想いがあったことは確信しています。
だからこそ、あの時の思い出は、私にとってとても良いものとなりました。
そう思えるようになったのも、当時の感情を手放して「自分にとって意味のある出来事だったとしたら?」と考えてみたことからだと思います。
佳子さんの中2のお子さんと同じレベルですが。。。テヘ(^^)>
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